最近の若いの

このごろ、"大人"と話すときに説明しなきゃならないこと

僕らが高校、大学を出た時点で仕事に対する態度が好ましくないことや、なんの説明もせず会社を辞めてしまうこと、あまり精神的に強くないこと
電話の使い方が下手なこと、苦しくなったときにどうやって相談したら良いかわからないこと
なんで最近の若者って、そんな不器用で自己中心的な個体が多いのかと、間接的に聞かれることが多い

運動中に水を飲んじゃいけないと言って育った人が大多数を占める"社会"と、
身体を守るためにスポーツ飲料を持ってきていいことになった20代が一緒に働く時代

別に非難したいわけじゃなくて、でも実際に僕らの思考一番強い影響を与えるのは、義務教育で教えられてきたこと
学校を選んだわけでも、先生を選んだわけでも、カリキュラムを選んだわけでもなしに、今これが義務の教育課程であると、みんな学校に通う
皆勤賞が褒められて、模範的な生徒が褒められて、それはきっとずっと前から変わらないけど

週に一回か隔週で道徳って教科があって、その中でディベートをすることがあった
一緒に文章を読んで、AとBの意見別れて、それぞれの背景や事情を子供の脳みそなりに頑張って飲み込んで、且つ、相手を傷つけないようにディベートをする

もともとハイコンテクストカルチャーである日本語圏で、更に小学生のうちから相手方の事情を汲んだり傷つけないように波風立たないように怒らせないようにそれでも自分の思いが少しでも伝わるようにっていうコミュニケーションの方法を身につける時間
素直に物言いもできないし、相手の邪魔になりそうなタイミングで話しかけたりはしない
話すことにとても気を遣う子供が増えたんじゃなかろうか

社会科の時間のしょっぱな、4年生か5年生とき、日本が他の国から1秒間に数百万円の借金をしていることも教わった
一年間でもらえるお年玉の数百倍の金額が、1秒間で

技術が、伝統が、日本がすごいみたいなテレビ番組がたくさん流れるこの頃だけど、そんな呑気なテレビが流れている裏で、借金時計の額は今でも膨らみ続ける
なんだかこれから生きていてわくわくすることは無いんじゃないかと思わされるような、なんだか苦しい宣告だった 借金て言葉がまず
論点は借金時計っていう概念が正しいか否かっていうところじゃなくて、小学生の多感な時期にそういう情報を提供する教育が存在していたってところ

ある人が、若者は次の仕事をどうしたら良いのか聞くのが下手だとか、怒られたときに申し訳ない顔じゃなくて、腑に落ちないような顔をしてるとか、突然鬱になって会社に来れなくなったり離職する人が多いと言ってた
事実そうなんだと思う、自分も結婚式場を離れたとき、アトピーは酷いし、オフィスに行けば腹が下るし、とにかくもう、迷惑しかかけないから早く辞めたかった
口では強がって、自分には合わない仕事だったとか言うけど、実際には給料もらってる身で職務を全うできない自分の身体が悪いし、なんだったら最初から面接を受ける資格も無かったかもしれない

同世代で目立って活動してる人もたくさんいるし、アンラーンしたり成功体験を積み重ねることでそれを克服していってる人も多くいるだろうけど
いわゆる、普通に暮らしている20代、10代後半の若いのは、思考のベースに不安が鎮座してるんだと思う
失敗すればクラスみんなの前で怒られる経験を繰り返して、或いはやんちゃ坊主が見せしめ的に怒られるのを傍からずっと見ていて、エラーは出るのにトラブルシューティングができない環境に慣れてしまって、エラーが出ることに免疫が無い人間が増えて、安全圏から出ようとしない

どうしても若者の労働力が必要な大人からしたら、うまいこと制御できない若者に溢れてるのは地獄みたいな状態だろうけど
個性を尊重といいながら、気を遣って、怒られないことに徹してきた若者には怒られることが行き止まりにしか見えない
僕らがその教育を、その価値観を選んだかといえば、そうじゃないのは明確でしょう
その教育を実装したのも大人だったと思うんだけど、それが失敗だったんなら素直に認めてよ

平成が失われた30年だったんなら僕達はもう居なくなってもいいかもしれないけれど、本当にそれでいいの?
賢い人は海外に飛んでいっちゃうし、今の働き方じゃ若者はすぐ疲弊しちゃう

日本がまだ日本らしく、愛嬌のある暮らしが残っているうちに
新築建売の無機質なニュータウンで埋め尽くされてしまう前に
と、思って、自分の身体でできる範囲で最大限やってみようと思っているけど